血 と 土 。

不動産・土地

お社さん おやしろさん

稲荷の眷属白狐の像

 

売りに出ていた古家付きの土地を見に行ったら、敷地の隅にお稲荷さんが鎮座していたことがあった。

 古くからその土地に住んでいる家の敷地にはきっと祠があったりしたものだが、都市部にある一般家庭では珍しくなった。

 

「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるくらいに、江戸にはお稲荷さんが多かった。

今でも気を付けて歩いていると、ビルとビルの間や路地の奥にちょこんと鎮座まします。

名残としても結構な数なので、江戸時代の最盛期にはそれはかくやといったところか。

有名どころでは日本橋三越の屋上にある三囲稲荷や湯島にある妻恋稲荷、湊にある鉄砲洲稲荷、王子にある王子稲荷はご存じの向きもおありかと思われる。

 

さてこのお稲荷さんがおわす土地、出来ることなら静かにお鎮まり頂きたいのであるが、相続だ税金対策だの、とかく世知辛い事情でこれまで住んでいた家屋を取り壊してマンション建てたり、更地にして売ったりしなければいけない場合があり、自分達の住む古家は兎も角もお稲荷さんをどうしようかという事になる。

 

物置をぶち壊すのとはいくらなんでも違うので、係わっている不動産会社や建築会社に相談してみると、

①神主さん若しくはお坊さん呼んでご祈祷。

②初穂料若しくは御布施として3万~5万円くらい。お供えや車代は別。

③古家取り壊しと一緒にお社も取り壊す。

という回答があるが、命のかかる仕事をしている人達はこういう事を大事にしているので、やらないと嫌がる業者さんもおられる。

 

既に空家になっているお社は別として、鎮座中のお社についてなのだが、こういう儀式は決まった段取り通りにやればちゃんとそうなるように出来ている筈なのだけれど、どうもうまく抜けていないことがある。

 

気に入らないのか何なのか理由はよくわからない。

 その辺がちゃんと出来る方が来ていると、確認しつつ儀式を進めるので間違いは起こらない。

 そうでない方だと鎮座したままなのにお社の解体作業へと進んでしまうことになる。

得手不得手の違いというほかないのかも知れない。

 

 当然の話ではあるのだが、お社はその土地の始まりからそこに存在していた訳ではない。

いつの頃か、その土地・家の安寧と繁栄を願って勧遷した、有難きなにかしらを奉祭する為に設えた社殿である。

小さくてみすぼらしい祠でも銅葺屋根の木曽檜外宮でも同じこと。

どうか是非にと招かれて、お守り下さいと拝まれて、その土地に住む人間達を力の限り守りながら一緒に暮らしてきたわけだ。

それなのに今度は社を取り壊すという。もういらんからどこぞへ帰れという。

 

 

なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

(どなた様がいらっしゃるのかは分からないのですが、恐れ多くも有難く、心がふるえて涙が流れます)

 

西行法師が伊勢神宮に参拝した際にこの歌を詠んだ。

生きていると苦しいこともある。辛酸を舐めて地べたを這いまわることもある。

そんな時でも目には見えずともなにものか見ていてくれる。

孤独の深淵で一人泣き叫んでいるのではないのだと、この歌はいう。

 

 

もしあなたの家にお社があって、何かの事情によりその地を離れなければならないとしても、どうか無碍にはしないて欲しい。

あなたの先祖の誰かが苦しんでいた時に、それは一緒に苦しんでくれたのかも知れないし、あなたが泣いている時に、傍で背中をさすってくれていたかも知れない。

だから重ねてお願いする。

 

たとえ見えなくても、聞こえなくても、家族であるあなたの言葉でもって、目に見えぬなにかによく話して聞かせて欲しい。

こういう事情でここを離れなければならないので、どうか一緒に行ってくれないかと。

そして社の中に祀られている神璽を抱いて行って欲しいのだ。

 

遠い昔に、あなたの祖先がそうしてつれて来たように。

 

不動産・土地

君の名は✖✖✖

静謐な墓地

 

江戸と呼ばれた時代から、この武蔵野国ではたくさんの人が、寝たり起きたり遊んだり泣いたりしていた。

 

幕府のお膝元であったし、御一新後も政府が置かれたため、やはりたくさんの人が方々から参集してきて、昔と同じように今も寝たり起きたりして暮らしている。

人がいるところには金も物も集まって、大変賑やかなことになるのだが、悲しいことも起きやすくなる。

 

あるとき買い物へ行くのにぷらぷらと歩いていると、隅田川と道路を隔てる堤防に防災頭巾を被った人が座っていて驚いたことがある。

あれっと思った時にはもう見えない。

 

見間違いだと自分の中で処理して終わりにするのが健康的で良いのであるが、一緒に見た家族が騒いだので困ったことになった。

それがなんであったのかは兎も角として何を見たのかという事になると、男女の別はよくわからなかったが、防災頭巾を被っていた点は一致した。

なんで防災頭巾なんだと論点のずれた会話をした覚えがあるが、まあ見たものはしょうがないよねと結了したのだった。

 

防災頭巾といえば小学校の椅子にくっついていたアレなのだが、防災頭巾を被って外を出歩くシュールな絵ずらは思い浮かばないので、やっぱり戦争中に亡くなった人なのかなとも思う。当時は防空頭巾と呼んでいたらしい。

 

亡くなった祖母の世代はリアルタイムで空襲を体験していたので、存命中はふいに思い出したかのように時々当時の話をしていた。配給とかB29や焼夷弾や防空壕とかの単語に混じってどこそこの被害は酷かった、あそこは沢山焼け死んだとかの話だ。

 

今頃になって調べてみたら東京は106回も空襲を受けている。wikiなので興味のある方は読んでみるといい。11万人が死んでいる。お母さん達が大変な思いをして生んで、一生懸命育てた人が11万もこの武蔵の土地の上で殺されている。

 

本当であればきっと東京は巨大な霊場なのだろう。時間が経つにつれ薄れていく記憶と一緒に、かつて霊場であったことも忘却の彼方へ追いやられて消えていく。

 

生きてく方が大事なのだからそれは仕方ないし、でないと先に進めない。生き抜くのは大変なんだ。

 

が、それでも考えてしまう。戦争が終わって何十年も経つのに、ずっとあそこにいたのだろうか。

家族はどうしたのだろう。

探し歩いて疲れ果て座り込んでしまったのだろうか。

誰も助けにはこないのだろうか。

どんな生き方をしたのだろうか。

 

名前は、なんていうんだろう。

 

 

不動産・災害

悪意無き殺戮と破壊が、また必ず起きる

地震で破壊された住宅

 

うだるような暑い昼時。それは不意に起きた。

 

逃げる間も与えられず、貧富も老若男女の別もなく、極めて平等無差別に徹底的に破壊され、焼かれ、灰燼に帰した。

 

ひどく冷酷で残忍でありながら、無機質な現象に過ぎなかったそれは、以後、関東大震災と呼ばれる。

 

 

1923年9月1日午前11時58分、発生。

 

死者行方不明者10万5000人。

 

被災者190万人。

 

建物全壊10万9000棟。

 

全焼21万2000棟。

 

 

文科省地震調査研究推進本部はM6.7~7.2規模の首都直下型地震が2036年までに発生する確率を70%と想定している。

 

技術に裏付けされた建築基準は高度になり、耐震耐火の安全性担保は過去とは比較にならない。

 

その恩恵によって私達は平安のうちに微笑んでいるが、頭上につり下がったダモクレスの剣は、いずれ。

 

 

必ず。

 

不動産-住宅ローン

住宅ローンという、信仰

マスクごしのキス

 

人の交わりが拒絶される社会が出現したとき、唐突に視界に広がった失業廃業の死屍累々。

 

それは一過性の災害で終結せずに、燎原の炎はこれからも世界を焼いていくのだろう。

 

人員整理と倒産のあとには、返す当てのない債務が焼け残る。

 

金融機関は何十年もの未来を安定した返済原資として住宅資金を貸してくれる。

 所定の書類審査をクリアーしたとしても、必ずしも完済出来る証左になる訳ではないのだが、買い付けを入れた時から新居での生活に心は行きっぱなしで、まだ遠い先の未来にはあまり思いを馳せない。

 

これは借金なんだよね。それもちょっと足りないので貸してくださいといった代物でなく、毎日がんばって生きてるみんなにとっては人生を担保にするような借金でしょう。

 

金が借りられる事と金を返せる事は明確に違うのだけれど、審査に通る頃には字義があやふやになっている。

 

未来は誰にもわからない。

今がそうであるように。

 

不動産-分譲マンション

いずれ朽ちる。建物も人も

老朽化したビル群

 

 今住んでいる人も。これから購入する人も。

より幸福な人生であろうと、多くの希望と少しばかりの不安を抱えて買ったそのマンションに訪れる未来。

 ある時を境に、それは蚕食を始める。

 その現実へのカウンターを持っているだろうか。

 

 人も建物も老朽化する。年を追うごとにメンテナンスに金がかかる。

あっちこっち痛くなり、血糖値が高くもなれば医者に行く。

老いていくのは必然であるだけれど、少しでももたせようとするのが人情でもある。

 

マンションも維持費がかかる。タワーだろうが低層だろうが規模の違いはあれ同じことだ。

このマンションも外壁や屋根の修繕とエレベーターの交換費用で修繕積立金残高は減っていき、今後の維持に月々の積立金は上昇し続ける。

 

占有部分である自室だってガタが来てる。

フローリングが痛んでささくれ立つし、軋みも沈みも出ている。

壁紙は焼けて古びており、水回りの年季の入りようといったらさもあらん。

 

リフォームしたいが、金はともかく騒音は避けられそうもなく他の住民の反応を考えると躊躇してしまう。

一戸建と違って人付き合いの煩わしさはないかと思えば、そうでもない。管理組合もあることだし。

 

そんな時に立体駐車場の設備更新をするので追加の費用を徴収したいという。

車は持っていないが共用設備なので全戸負担とのこと。

給水管更新工事も数年後にスケジュールされているが、管理組合では紛糾している。

 

新築時にまともに修繕積立金を算出なんてすれば売りにくいので、当初は低額に抑えているが、年を追うごとに増額を続け今では3倍強になっている。分かっていた事ではあるので文句は特になし。

 

でも上昇し続ける維持費に見合うだけの所有目的があるのかと問われれば、そんなもの無くて。

以前とは状況が変わり、場所に固執する理由も無いし、愛着もない。

 

売却しても捨て値です。この修繕費に管理費を加えた金額を毎月支払うのを買い手は嫌がる。

修繕計画見直しや管理会社の再検討も住民同士で考えに乖離がある。

戸建てであれば更地にすれば建物だけの減損で済むし、取り壊す意思決定も自分だけで良いのだが、分譲マンションはそうはいかない。

皆と共にあれ、だ。

良き時も、悪しき時も。